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運動音痴について

脳内庭師さんが運動音痴のことを記事にしていらっしゃいました。
   シュトゥットガルトが咲いた
   運動音痴コンプレックスで考えた
それを見て、私も、私も、と運動音痴カミングアウトが・・・
私もその仲間なんですが、運動音痴の辛い経験を思い出しました。

かれこれ、うん十年前(って隠すようなもんじゃないですが)、私が小学生の時のこと。
私の行っていた小学校は美術に力を入れていた学校でした。
お絵かき大好きな私にとっては、楽しい学校。
一学年50人と少し、全校生徒300人ちょっとの小さな田舎の学校です。
それが、春の異動で男の先生が二人やって来た途端、
体育に力を入れる学校に大変身したのです。

小学校低学年の頃までは、4月生まれのためか、適当に走れもしたし、
自分が運動音痴だと思うような場面はあまりありませんでした。
それが、高学年になった頃、その異動してきた先生が担任になったときから、
私の運動音痴人生が始まったのです。

今なら教育委員会に訴えられそうなことを、次々とやっていった先生でした。
授業は時間割通りにした事なんて、ありません。
学校のまわりはぶどう畑が広がる田舎の小高い丘にあったので、
行ってこい!と、校門から出てぶどう畑の坂を走ってもどってくる、というマラソンコースを
一日に何度も走らされたり・・・
家庭科教室に畳を敷き詰め(これは柔道のクラブ用だと思います)、
そこを教室代わりに占領し、体操(ブリッジとか側転とか)させられたり、
夏だったらずーっと泳がされたり・・・
ちょっと変わったところだと、当時流行っていた「奥飛騨慕情」という演歌を歌わされたり、
先生がどこかに投稿するエッセイを執筆するためにずっと自習させられたり、
その自習の時に、学級委員だった私ともう一人の男の子を先生役にして
算数の勉強をさせたり・・・
体と心を鍛えるんだー!
人生の坂道、を登るんだー!
と、いうのがモットーらしく、習字の時間(無理矢理そういう時間を作っていました)に
「人生の坂道」と書かされたり・・・
冬でも半袖・裸足を強要され、全員出席の日の記録更新を掲げていたので、
休もうものなら翌日嫌みを言われました。

怒鳴るのも当たり前、手が出るのも当たり前、
私たちは、怖くて誰も文句なんか言えません。
誰も先生のことを好きじゃありませんでした。
でも、怖いから、先生のことが好き、という態度をとらないといけない。
先生の誕生日には、以前の生徒がそうしていた(と先生が言うのです)らしいから、
私たちも半ば強制的に、先生の家に遊びに(?!)行き、プレゼントを渡す、という
猿芝居をうたなくてはなりませんでした。
「Hの母さんが、僕にシイタケを持ってきてくれた。“先生、これ食べて下さい”ってな。」
と、私たちにも何か持ってこいと言わんばかりのことを言われたこともあります。

うちの母は、脳天気なのか、無神経なのか、家庭訪問の日に
そんな先生に、よりにもよってこんな事を言ったのです。
「うちの子は体育が苦手だから、先生が担任になったらどうしよう、って言ってたんですよ」
・・・恐ろしい~。
私の不安を先生に打ち明けたら、先生がそんな私に気を使って優しくしてくれる、と
期待したのでしょうか。
その数日後、畳の敷き詰められた家庭科室で、みんなを座らせて説教を始めた先生が、
このことを、みんなに話したのです。
私のことを、ぎらぎらした怖い目でにらみながら・・・
10歳の女の子は、それはそれは恐怖に震え、涙を流して、何も言えませんでした。
でも、先生は「泣く」という行為に、さらに逆上する人だったのです。

そんな先生がよく言っていたことは、
「体育ができると、勉強も出来る。
体育が出来るヤツが、えらい。
体育が出来ないヤツは、バカだ。」

先生に逆らうことも出来ず、先生のことが好き、先生が言うことは絶対、
と自分を自分でマインドコントロールしないと辛くて学校に行けなかった私は、
その言葉も、“そうなんだ、体育が出来ない自分は、ダメなヤツなんだ”と思いこんで、
自分を責めるしかありませんでした。
運動が出来ない私が、たとえ他にどんなことをしたとしても、
彼の論理でいくと、私は“ダメ人間”でしかないのです。
くらーく、くらーく、すごす私は、友達と楽しく遊ぶことも出来なくなりました。

だから、私の“運動音痴”に対するイメージは、いけないこと、恥ずかしいこと。

中学校から私立の学校へ行った私は、相変わらず運動音痴だったけど、
でも、私よりも運動音痴の仲間は何人もいました。
仲間は、運動音痴だから体育はイヤ、といいながらも、運動音痴であることに、
私ほどの劣等感・罪悪感みたいなものは持っていませんでした。

楽しみながら運動をする、ということが、私の人生では少ないのです。
出来ないことはいけないこと、下手なのはいけないこと。
と、いう思いがどうしてもまとわりついて離れません。

そんな私が3人の子どもの母親になって・・・

長女、どう見ても私の遺伝子をしっかり受け継いでいます。
次女、ラッキーなことに相棒に似ているかも!? 運動神経は中の上か。
長男、未知数だけど、身軽だしボールの扱いを見ていると、多分相棒に似てる。

運動音痴について_e0024385_16274852.jpg長女が走るのが遅くても、うまく鉄棒が出来なくても、
私みたいに、そのことでものすごい劣等感を持ったりしませんように・・・
彼女は水泳を習っているけど、1つでも楽しくできる、好きな運動が見つかりますように・・・
そうして、それをずっと続けていけますように・・・
そう願ってやみません。

わ~、長くなってしまいました。
脳内庭師さんの“子育ては親の運動音痴コンプレックスのリベンジの機会かも”、
という記事と、かなりずれてると思うけど、私は、こんな事を思ったのです。

  補足(9月21日午前)
   高学年になって、運動能力が生まれ月の影響ではなくなった頃、
   私はどんどんみんなに抜かされて、走るのも遅くなっていったし、
   運動に対するセンスのなさが、顕著になってきたのです。
   それで、私は運動ができないんだー、とはっきり自覚しました。
   低学年の頃は、そんなこと、全然気にならなかった(^^;)
by wakorisa | 2005-09-20 16:35 | つぶやき